研究というのは何か新しい知見を得ることを目的に行うものであり、仮説を立て、実験案を考え、実験して、考察するというサイクルを回すことが必須だと思っています。
しかし、研究室ではどうしても実験に時間の多くを使うので、ついつい研究=実験だと思ってしまいがちです。実験しかやっていないと上記のサイクルを回せず、新しい発見ができません。これではとても研究とは呼べず、ただ実験という作業をこなしているだけとなってしまいます。
今回、自分のやっていることが研究ではなく、作業になりつつあることに気づいたので、そのことについて話します。
配属されたばかりで意気込んでた頃
研究室に配属されたばかりの頃の私は「研究頑張るぞ!」と意気込んでいました。
今まで研究をしたことなかった人がこんなことを言うのはおこがましいかもしれませんが、素人ながらも「研究者」らしく自分で仮説を立て、その検証に向けてどんどん実験を進めていこうと思っていました。
そして、あわよくば何か新しいことの解明をして論文を書いてやろうなんて思っていました。
私の配属された研究室は、学生から提示した実験は割とやらせてもらえる風潮だったので、配属間もない自分でも提示した実験計画が通り、それに従って実験を進めていきました。
実験計画の行き詰まりと教授の実験案
しかし、ある程度実験を進めれば、当然次の実験計画を立てる必要があり、そこで行き詰まってしまいました。
「実験、やろうと思えば内容はいくらでも思いつくけど、その実験が研究を進める上で必要なものなのか分からない」という状態でした。
ミーティングで、研究に行き詰まっていることを教授に相談すると、教授が実験の案を示してくださりました。
「教授が提示する実験なら意味のあるものに違いない」と盲目的に思った私は、何も考えずにその実験を行うことにしました。
そうすると、確かに知識豊富な教授のアイデアだけあり面白い結果が得られました。
それに味を占めた私は、次も教授からのアイデアを鵜呑みにして実験をしました。
「作業者」としての忙しい日々
しばらくすると、なんだか実験作業に追われる日々を送るようになりました。
夜遅くまで実験をし、疲れて家に帰り、早く寝たいと思いながら遅めの夕飯を食べ、布団に入る。そして次の日また実験。
研究室では実験作業ばかりで、自分の研究の現状についてゆっくり振り返える時間がありませんでした。
「教授の言われたことをやっていれば文句は言われないだろう」という短絡的な思いが生まれ、次の実験計画はどうするか、自分で考えることもしなくなっていました。
自分の研究に対する主体性を失っていました。そのせいもあり、何のために今この実験をやっているかも分からなくなっていきました。
「あれ、私は一体何をやってるんだろう」
最初は「研究者」として何か新しいことを発見してみせる!と意気込んでいたのに、今や教授に言われた通りの実験をするだけの「作業者」になっていました。
自分で「研究の推進力」を身につける
このままではまずいと思い、また改めて「研究者」としての自分になるべく勉強をすることにしました。
今のままでは、配属直後の頃のようにまた実験計画が立てられず行き詰まる可能性が高いです。そこで、研究を進める上で、どのような思考をしていけば良いのかを学ぶ必要があると考えました。
そう思っていたところ、今の自分にちょうど良さそうな本を見つけました。
この本を読んで、また研究と向き合っていきます。
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